2011年7月31日日曜日

第二次福島支援レポート②

<前回の続きです。>

 行動2日目の21日は、宮城県境にある新地町で活動しました。こちらも海沿いの町は津波によって100人以上が亡くなるという大きな被害がでました。JR常磐線の新地駅では列車が津波に襲われたことが大きく報道されました。現在、列車は撤去されていましたが、がれきの山は残されています。線路から海側(東側)は、ほとんど建物がなくなり、地盤沈下によって常時浸水しているような状況でした。

常磐線新地駅跡。列車は撤去されていましたが、がれきは残されたまま。


新地駅跡から東側。電柱の列が水の中に並んでいる状況。
 
 救援活動の先頭に立ってこられた地元の井上和文町議、そして党支部の方々と組をつくって、全戸訪問にとりくみました。日本共産党の「原発からの撤退」提言を届けながら要望を聞くという活動でしたが、たくさんの声をお聞きすることができました。

 山側の地域をまわると、一見すると、とてものどかな農村風景が続いているようですが、瓦屋根のお宅はほとんどすべて地震の被害を受けており、いまだにブルーシートがかけられています。修繕するための瓦の制作が追いついていないということでした。


山側でもとくに瓦屋根の被害が目立ちました。

 そして、やはり深刻な放射能汚染の状況、不安の声がつぎつぎだされます。「この町に住み続けることができるのか、教えてほしい。放射能は心配だけど、そればかり言いすぎるとまわりの農家の方の手前、悪いような気がして・・・」「牧草畑の放射能を測って、高い場所は刈って、低い場所はそのままになっている。トラ刈りになってる。そんなやり方で本当に安全なのか?」「農協から米は作ろうと言われたし、農家だから作っているけど、いったい誰が買ってくれるのか」などなど・・・。

農作業中のご夫婦との対話の様子

  新地町では、杉などの苗木、菊などの花の栽培も広く行われており、本当に美しく、のどかな地域です。こんな美しい場所を汚した原発を推進してきた東京電力と歴代政府にあらためて怒りが湧いてきました。

新地町で広く行われている菊の栽培
 「共産党の方が一軒一軒まわって話しを聞いてくれてるんですか。ごくろうさまです」と感謝していただくお宅もありました。住民の皆さんの声を聞き、力を合わせて政治に届け、生活と地域の復興、原発からの撤退と被害の全面補償を堂々と主張できる日本共産党の存在意義を痛感しました。

 同時に、深刻な放射能被害が広がっているもとで、暮らしの再建や補償の問題と同時に、町の未来をどう展望し切り開いていくのか、除染の問題など課題は山積みです。

 日々、震災の被害や放射能汚染と格闘し、住民の皆さんと向き合っている現地の議員さん、支部の皆さんの活動を少しでも援助するために、今後も支援活動にとりくんでいきたいと思います。

<終わり>

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